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第42回 三重県の孝子伝

江戸以前の三重県の先人・偉人の事蹟をまとめたものに、『先賢遺芳』という本があります。その中に、「孝子」として、「孝女登勢(現・津市)」「孝子留松(現伊賀市)」「孝子萬吉(現亀山市)」「孝子勘七(現紀北町)」 の4人が載せられています。 これら4人のうち、最初の3人については、江戸時代にその「孝行」の様子を描いた「伝記」が出版されており、それらの「伝記」を中心に、「三重県の孝子」に関する当館所蔵参考文献を紹介しました。


  • 展示期間平成16年9月11日(土曜日)から平成16年12月24日(金曜日)
  • 解説
  • 参考資料

参考資料一覧(2004年9月現在)

書名 編著者 出版者 出版年
孝子伝の研究 黒田彰/著 仏教大学通信教育部 2001年
江戸時代の孝行者 菅野則子/著 吉川弘文館 1999年
官刻孝義録上巻 菅野則子/校訂 東京堂出版 1999年
官刻孝義録下巻 菅野則子/校訂 東京堂出版 1999年
先賢遺芳 三重県 1915年
安濃町史資料編 安濃町史編纂委員会/編集 安濃町 1994年
松阪市史第8巻 松阪市史編さん委員会/編著 蒼人社 1979年
三重婦女読本 三重県教育会/編 三重県教育会 1939年
安濃ふるさと101話 安濃町史編纂委員会/編 1997年
三重の女の一生 中日新聞三重総局/編集 光書房 1981年
県史あれこれ2 三重県生活文化部学事課/編集 三重県生活文化部学事課 1996年
伊賀善行録 沖森直三郎/編 沖森書店 1987年
日本教育文庫孝義篇上 同文舘編輯局/編纂 同文舘 1910年
日本教科書大系近代編第1巻修身1 講談社 1978年
台水先生遺文坤 町井台水/著、町井鉄之介/編 1917年
孝子留松の伝 〔沢一以/著〕 大阪伊賀人会 1934年
新編伊賀地誌 中野銀郎/著 伊賀地誌編纂会 1939年
伊賀史談会会誌第10号 伊賀史談会 1934年
鈴鹿郡郷土誌 鈴鹿郡教育会/編 東天社 1981年
三重県史談 村上政太郎/著 豊住謹次郎 1894年
三重県誌教案 関西図書 1900年
鈴鹿郡野史(復刻版) 柴田厚二郎/編 名著出版 1973年
亀山地方郷土史第3巻 山田木水/著 三重県郷土資料刊行会 1974年
鈴鹿関町史上巻 関町教育委員会/編集 関町役場 1977年
鈴鹿小史 早川赳夫/著 三重県教師会 1968年
広報せき縮刷版第1巻 1990年
広報せき縮刷版第2巻 1990年
海山町史 海山町役場/編集 海山町役場 1984年
稲生郷土誌 三重県鈴鹿市稲生郷土誌編修委員会/編修 三重県良書出版会 1989年
碑碑が語る津の歴史 三ツ村健吉/著 三ッ村健吉 1997年
津藩 深谷克己/著 吉川弘文館 2002年
津市史第一巻 梅原三千,西田重嗣/執筆 津市役所 1959年
わが文わが歌 佐佐木信綱/著 六興出版部 1947年
郷土誌(郷土教育資料) 相賀尋常高等小学校/〔編〕 相賀尋常高等小学校
郷土調査(郷土教育資料) 相賀尋常高等小学校/〔編〕 相賀尋常高等小学校 1925年
天祚録 土井幹夫/著 土井幹夫 1893年
三重県二千六百年史(復刻版) 古田三好/著 古田悠 1991年
日本書誌学体系23-7三村竹清集7 三村清三郎/著 青裳堂書店 1985年
桜斎随筆第16巻 鹿島則孝/編著 本の友社 2001年

解説

「親孝行」は、洋の東西や時代を越えて、普遍的な徳目の一つです。「孝行説話」「孝子譚」は、『今昔物語』や『お伽草子』など、多くの古典に見られます。亨和元年(1801年)、幕府が編纂・出版した『官刻孝義録』には、全国で表彰された孝子・孝女が、その住所・氏名・年齢、褒美を受けた年月などとともに記載されています。主なものについては、それぞれの「孝行」の内容を、物語風にまとめています。

江戸以前の三重県の先人・偉人の事蹟をまとめたものに、『先賢遺芳』という本があります。その中に、「孝子」として、次の4人が載せられています。

「孝女登勢(現安濃町)」「孝子留松(現伊賀市)」「孝子萬吉(現亀山市町)」「孝子勘七(現海山町)」

これら4人のうち、最初の3人については、江戸時代にその「孝行」の様子を描いた「伝記」が出版されており、当館でも当時の本を所蔵しています。今回の地域ミニ展示は、それらの「伝記」を中心に、「三重県の孝子」に関する当館所蔵参考文献をご紹介します。

1孝女登勢と『孝女登勢伝』

孝女登勢と『孝女登勢伝』登勢は、江戸時代の末頃に、阿下喜村(現いなべ市)に生まれ、6歳の時、連部村(現安濃町)の貧しい農家に養女としてもらわれました。難病の養父母を助けて少女の時から生計を支え、孝養を尽した登勢は、文化5年(1808年)、藩主から褒美をもらいます。

『孝女登勢伝』は、文化6年(1809年)、津の書店から出版されました。そこには、筆舌に尽くし難い苦労と献身的な愛情に満ちた登勢の半生が記されています。『安濃町史資料編』には『孝女登勢伝』が、関係する古文書とともに翻刻されており、活字で読む事ができます。挿絵には、貧しい暮らしの中で心のこもった親孝行をする登勢の姿が、わかりやすく描かれています。

孝女登勢については、現代では「女性史」の観点からも取り上げられることがしばしばあります。インターネットでも、安濃町が紹介している他、奈良女子大学附属図書館のサイトでは、『孝女登勢伝』の本文画像に、翻字・解説を付けて紹介しています。

『孝女登勢伝』 同書より:登勢が両親を助けて暮らす様子 同書より:登勢が両親を助けて旅をする様子

2孝子留松と『至孝 自然生(ひとりはえ)』

孝子留松と『至孝 自然生(ひとりはえ)』留松は、江戸時代の末頃、東條村(現伊賀市)の貧しい家に生まれました。早くに父を失った留松は、幼い頃から病気の祖父と難病の母に孝養を尽しました。母の死後も、祖父の面倒を見ながら、その墓を毎日大切に守ったので、天明3年(1783年)、藩主よりその孝心を認められ、褒美をもらいます。

同年出版された『至孝 自然生』には、留松がお城で褒美をもらう経緯や、留松の周囲の村人たちの様子などが詳しく描かれています。これは、著者の稲垣景直が、留松の褒賞に直接関与した人(「大村長(しやうや)」)であったことにもよります。当時の村の暮らし振りや人々の考え方などを知る上でも、たいへん参考になる資料です。

『至孝自然生』以外にも、留松の伝記は3冊あり、それぞれ天明4年(1784年)、大正6年(1917年)、昭和9年(1934年)に出版されています。「孝子伝」として4度も書かれたのは、この留松だけです。内容はどれもほぼ同じですが、この事実は、それだけ留松と彼をめぐるエピソードが、魅力的で興味深いものであったことを示していると言えます。

ちなみに、題名『至孝 自然生』は、作者が留松のことを評した文章、「是天性自然と云つべし」から来ています。9歳ながら、自分のことを顧みずに、ひたすら祖父と母に尽した留松を前にした「大村長(しょうや・庄屋)」である作者は、彼の孝子ぶりを説明する他の言葉を思いつかなかったのでしょう。「留松の孝行は、天から授かった、全く生まれながらのものである、という他はない。」その思いをそのまま題名にしたところに、作者の感動の深さをうかがい知ることができます。

『至孝 自然生』 『台水先生遺文乾』
(「孝子留松伝」所収)
『孝子留松の伝』 同書より:雨の夜中に母の墓を守る留松の様子
(原画は『伊州東條 孝子留松伝』より)

3孝子万吉と『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』

万吉は、江戸時代の中頃、東海道坂下宿(現亀山市)に生まれました。幼い時に父を失い、母は病身だったので、万吉は、鈴鹿峠で旅人の荷物を運び、わずかな賃銭を得て生計を支えました。ある時、旅の侍に認められ、その親孝行を広く知られるようになり、11歳の時、役人から褒美をもらいます。その顛末を記した『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』は、寛政元年(1789年)、京都の書店から出版されました。

ところで、最初に万吉を目に留め、家を訪れて母を励まし、お金を与えた侍は、『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』では「石川某」とあるのみですが、『関町史』など、後になって書かれた郷土史や、学校教科書などの多くは、「石川忠房」と、その人物を特定しています。

「石川忠房」は、寛政5年(1793年)に、幕府の代表としてロシアの使節ラクスマンから白子(現鈴鹿市)の漂流民大黒屋光太夫を松前(北海道)で引き取った人物です。後に彼は勘定奉行にまで出世しますが、万吉と「石川某」が初めて出会った天明3年(1783)当時は「大番」という役職にありました。「大番」は、江戸城のほか、大坂城・二条城に勤務する役職で、確かに『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』の記述と符合します。

明治7年(1874年)に出版され、当時、学校教科書としても使用された『近世孝子伝』には、先に紹介した「留松」と共に、「万吉」を載せています。その内容は『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』そのままですが、文体を和文でなく漢文訓読体に書き直しています。その中で、例の侍は「幕府の臣石川忠房」と特定されています。管見ですが、この『近世孝子伝』は、侍の姓名を特定している最も古い資料です。

『近世孝子伝』の著者が、なぜこのように特定できたのかはわかりません。しかし、もし事実だとしますと、「石川忠房」という人物は、ずいぶん三重県に縁の深い人物であったといえます。

『日本教育文庫孝義編上』
『勢州鈴鹿 孝子万吉伝』『伊州東條 孝子留松伝』翻刻所収
『日本教科書体系近代編第一巻修身(一)
『近世孝子伝』(「万吉」「留松」の項あり)所収

4戦前の教科書にとりあげられた「孝子」たち

戦前、つまり昭和20年以前には、学校では「修身」という授業がありました。いまでいう「道徳」の時間です。その教科書には、歴史に題材をとった話が教材として多く使われていました。江戸時代の「孝子」たちも、教科書にしばしば登場しています。

三重県の「孝子」たちで、最も多く教材とされたのは「万吉」です。先に紹介した『近世孝子伝』などは、教科書検定がはじまる以前の教科書ですが、後の「検定教科書」にも使用されています。作文の教科書の例文の他、当時、日本の統治下にあった朝鮮で使われた教科書にも採用されています。

「留松」も教科書に使用されていますが、「登勢」を載せているものは見つかりませんでした。「孝」は、小学校低学年で教えられていたので、その教材には、単純でわかりやすく、子供が活躍する「万吉伝」のような話が向いていたのかもしれません。以下、一覧にしてみました。当館所蔵資料は少ないですが、多くはインターネット上でご覧いただけます。

番号 書名 編著者 出版年 孝子 現市町村 収録図書・サイト
1 近世孝子伝 城井寿章 明治7年 万吉 亀山市 『日本教科書体系修身一』
近世孝子伝 城井寿章 明治7年 留松 伊賀市 『日本教科書体系修身一』
2 明治孝節録 巻三 近藤芳樹 明治10年 甚左衛門 伊賀市 広島大学図書館HP
        横田新助 津市  
3 修身説約 巻の二 木戸麟 明治12年 万吉   広島大学図書館HP
4 修身説約 巻の三 木戸麟 明治12年 留松   広島大学図書館HP
5 小学脩身読本 三好学 明治13年 万吉   広島大学図書館HP
6 和漢孝義録 巻一 鈴木重義 明治15年 甚吉 鈴鹿市 広島大学図書館HP
7 和漢孝義録 巻二 鈴木重義 明治15年 リヨ 四日市市 広島大学図書館HP
8 智徳のかゞみ 斎藤普春 明治24年 万吉   国立国会図書館デジタルコレクション
9 実験日本修身書 巻三 渡辺政吉 明治26年 万吉   広島大学図書館HP
10 高等小学修身 巻二 高野安繹 明治26年 弥三郎 松阪市 広島大学図書館HP
11 尋常小学修身書 巻三   明治33年 万吉   広島大学図書館HP
12 高等小学作文全書 二 石川正作 明治35年 万吉   国立国会図書館デジタルコレクション
13 普通学校国語読本巻五 朝鮮総督府 大正3年 万吉   『普通学校国語読本』