田原 総一朗/著 -- ポプラ社 -- 2013.4 -- 210.7

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所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
しょこ /210/タ/1 120924543 児童一般 可能 iLisvirtual

資料詳細

タイトル 100分でわかる!ホントはこうだった日本現代史 1
タイトルカナ ヒャップン デ ワカル ホント ワ コウ ダッタ ニホン ゲンダイシ
著者 田原 総一朗 /著  
著者カナ タハラ ソウイチロウ
巻の書名 満州事変から太平洋戦争の終わり
出版者 ポプラ社
出版年 2013.4
ページ数 194p
大きさ 20cm
一般件名 日本-歴史-昭和時代 , 日本-歴史-平成時代
ISBN13桁 978-4-591-13397-2 国立国会図書館 カーリル GoogleBooks
言語 jpn
分類記号 210.7
内容紹介 ジャーナリスト・田原総一朗が、自らの体験や調査・取材をもとに、日本の現代史をやさしく解説。1は、満州事変から、真珠湾攻撃、ポツダム宣言受諾までを収録。2013年3月刊と同内容にルビを付与した児童向け図書館版。
著者紹介 1934年滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業。評論家。ジャーナリスト。早稲田大学で「大隈塾」を開講、塾頭。著書に「日本の官僚」「テレビと権力」「誰もが書かなかった日本の戦争」など。

目次

私が伝えたいこと
第1章 満州事変から2・26事件
  満州事変を起こした石原莞爾とはどんな人物か
  満州事変を、当時の日本の政府や軍部はどのように考えたのか
  若槻首相を退陣させた「10月事件」とは? 満州事変とどう関係しているのか
  クーデターの時代。犬養首相を暗殺した5・15事件は、誰がなぜ起こしたのか
  大川周明はなぜ5・15事件に深くかかわっていったのか
  5・15事件は革命になりえなかった、というのはなぜか
  リットン調査団は満州国の日本支配を、なぜ否定しなかったのか
  リットン調査団の評価から、なぜ日本は国際連盟を脱退することになったのか
  世界の国々は、日本の起こした満州事変をどうとらえていたのか
第2章 日中戦争から三国同盟
  日中戦争が拡大するに至った中国側の事情
  日中戦争の背景で起こっていた中国の政策転換を、日本は知らなかった
  情報不足のまま、日中戦争はしだいに全面戦争へ
  日中戦争時の内閣総理大臣、近衛文麿はなぜ人気があったのか
  近衛文麿はどのような考えの持ち主だったのか
  日中戦争で、近衛内閣はどのように動いたのか
  南京陥落と南京大虐殺はなぜ起こったのか
  昭和政治史最大の愚行と言われた近衛の発言とは
  勝っても虚しい日中戦争。やめる踏ん切りもつかなかったのはなぜか
第3章 日米和平交渉から開戦前夜
  かみ合わない日米交渉。なぜこんなに誤解が重なっていったのか
  松岡洋右による修正案は、アメリカに読み解かれていた
  松岡の考えた「四国同盟」が実現しなかった理由
  南ベトナム進駐を決定した背景にある、日本の決定的弱点
  南ベトナムへの進駐。日本はアメリカの反応を予期していなかった?
  対米戦を主張する軍部。近衛は日米トップ会談を働きかける
  アメリカは「ハル四原則」の基本姿勢を変えることはなかった
  陸海軍によってまとまった「帝国国策遂行要領」の内容
  戦争を回避したい天皇に、近衛たちはどのようにこたえたのか
第4章 交渉決裂から真珠湾攻撃
  時間延ばしの交渉案に東条英機は天皇の前で涙が止まらなかった
  甲案も乙案も、アメリカはすべて見抜いていた
  日本はアメリカをまったく疑っていなかったのか
  「ハル・ノート」の厳しい内容には、中国やイギリスの思惑が含まれていた
  ハル・ノートの厳しさに日本は開戦を決意したのか
  なぜ、天皇は戦争反対をはっきり表明しなかったのか
  天皇も東条も、一番恐れていたのは国民の感情のゆくえだった
  宣戦布告。1時間の遅れで真珠湾攻撃は「だまし討ち」に
第5章 ミッドウェー海戦からポツダム宣言受諾
  「撃ちてし止まん」という勇ましい標語と、毎日の玉砕の知らせ
  「戦争を続けるだけではない方法を考えよ」と天皇は言った
  日本をめぐり、アメリカとソ連の必死の攻防が行われていた
  そして、原爆は投下された
  アメリカ人は原子爆弾についてどう考えているのか
  日本がポツダム宣言の受諾につけ加えた条件とその回答とは
  この戦争は日本にとって、侵略戦争ではなかった
  玉音放送。終戦で価値観は180度変わってしまった