柴崎 由紀/著 -- 銀の鈴社 -- 2012.9 -- 289.1

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所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
じどう /289/ニ/ 120906102 児童一般 可能 iLisvirtual

資料詳細

タイトル 新渡戸稲造ものがたり
タイトルカナ ニトベ イナゾウ モノガタリ
副書名 真の国際人江戸、明治、大正、昭和をかけぬける
叢書名 ジュニア・ノンフィクション
著者 柴崎 由紀 /著  
著者カナ シバザキ ユキ
出版者 銀の鈴社
出版年 2012.9
ページ数 255p
大きさ 22cm
ISBN13桁 978-4-87786-543-6 国立国会図書館 カーリル GoogleBooks WebcatPlus
言語 jpn
分類記号 289.1
内容紹介 世界的な名著「武士道」の著者であり、国際連盟事務次長などを務めた新渡戸稲造。生涯を国際平和と教育に尽くした彼の幼少期から晩年までを紹介します。
著者紹介 成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科卒業。アメリカ・コロラド大学ボールダー校でB.A.取得(International Affairs)。銀の鈴社で編集等を行う。鎌倉ペンクラブ会員。

目次

一 幼少時代 一八六二年(誕生)~一八七〇年(八歳)
  武士の家に生まれた少年
  祖父と父の開拓者精神(フロンティア・スピリット)
  有名なわんぱく坊や
  父が亡くなる
  大好きな母
  西洋との出会い
  武士の時代の終わり 戊辰戦争
  鼓手になる
  初めて英語を習う
二 東京 一八七一年(九歳)~一八七六年(十四歳)
  夢にまでみた東京へ
  明治時代の東京 印象に残った福沢諭吉
  本格的な英語の勉強
  講談で人生を学ぶ!?
  目に見えぬ神の心にかよふこそ 人の心の誠なりけれ
  見る人の心々に任せおきて 高嶺にすめる秋の夜の月
  東京外国語学校(東京英語学校)で学ぶ
  素晴らしい先生との出会い
  初めて書いた英作文
三 札幌農学校 一八七七年(十五歳)~一八八一年(十九歳)
  札幌農学校(Sapporo Agricultural College)の開校
  クラーク精神(Clarkii Spirit)
  Be gentleman.(紳士たれ)
  札幌農学校入学
  キリスト教の洗礼を受ける
  札幌農学校での学生生活
  「アクティブ」から「モンク」に
  悲しみの帰郷
  生涯にわたる愛読書
四 東京大学/アメリカ留学 一八八二年(二十歳)~一八八六年(二十四歳)
  「太平洋の橋になりたい」 東京大学入学
  アメリカ留学を決心する
  いよいよアメリカへ
  ジョンズ・ホプキンズ大学(Johns Hopkins University)
  学友ウィルソン
  ボルティモアでの留学生活
  キリスト教フレンド派の信徒(クエーカー)になる
  普連土女学校(普連土学園)の設立
  メアリーとの出会い
五 ドイツ留学/結婚 一八八七年(二十五歳)~一八九〇年(二十八歳)
  幸運なドイツ留学
  メアリーとの文通
  母の命日に
  ラヴェレー教授の質問
  ベルリン(Berlin)、そしてハレ(Halle)へ
  留学を終える
  結婚
  メアリーとともに帰国
六 札幌農学校教授/遠友夜学校 一八九一年(二十九歳)~一八九七年(三十五歳)
  夫妻で札幌へ
  札幌農学校の教授として
  幅広い教育活動
  北海道開拓の技師
  遠益の誕生
  遠友夜学校
  誰に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心をもって
七 世界的な名著 『武士道』 一八九八年(三十六歳)~一九〇〇年(三十八歳)
  療養生活
  アメリカへ
  『武士道』の出版
  現在にも通じる日本の武士道
  その功績、三軍の将に値する
  和魂洋才 英語の達人
  アンクル・ニトベ(Uncle Nitobe)
  女子英学塾(津田塾大学)
八 台湾の砂糖産業と植民地政策 一九〇一年(三十九歳)~一九〇五年(四十三歳)
  台湾へ
  日本の植民地 台湾
  後藤新平との出会い
  台湾の砂糖産業
  人のつながり
  京都帝国大学教授になる
九 第一高等学校の校長 一九〇六年(四十四歳)~一九一三年(五十一歳)
  第一高等学校の校長になる
  新風を巻き起こした新校長
  面会日
  ソシアリティー(社会性)の大切さ
  専門センス(専門的知識)よりコモンセンス(常識)
  新渡戸校長への批判
  小日向の家
  日米交換教授(カーネギー平和事業)
  一高校長をやめる
十 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長 一九一四年(五十二歳)~一九一八年(五十六歳)
  東京帝国大学の植民政策講座
  日本人道会(Japan Humane Society) 動物愛護運動
  原敬とともに 東北の振興と民主主義の普及
  銀婚式 竹内栖鳳画伯が描いた紅白の菊
  拓殖大学の第二代学監に就任する
  「個人として強かれ」
  大正時代の女子教育
  東京女子大学の初代学長
  稲造の「娘」たち
十一 国際連盟事務次長 一九一九年(五十七歳)~一九二六年(六十四歳)
  国際連盟事務次長になる
  連盟の輝ける星
  国際連盟の精神を世界中に普及させる
  オーランド諸島の領土紛争を解決した「新渡戸裁定」
  エスペラント界の恩人
  国際知的協力委員会(Committee on Intellectual Co‐operation)
  関東大震災
  日本での普及活動
  排日移民法
十二 平和の使徒として 一九二七年(六十五歳)~一九三三年(七十一歳)
  帰国して 貴族院の勅撰議員
  女子経済専門学校(新渡戸文化短期大学)
  恵泉女学園を支える
  太平洋問題調査会(IPR)
  生涯の友との別れ
  「郷土は国の基なり(郷土国之基)」
  産業組合(協同組合)
  すべての人に医療を 医療利用組合病院
  最後の札幌訪問 魂のふるさとへ
十三 没後 稲造が遺したもの
  メアリーの晩年
  遠友夜学校の閉校
  稲造の精神的子孫(spiritual descendants)
  『武士道』のその後
  国際連合とユネスコ
  カナダの新渡戸記念庭園(Nitobe Memorial Garden)
  五千円札に登場した稲造
  稲造がつなぐ友好関係
  「宇宙の生命」 自然への愛
感謝のことば-あとがきにかえて
年表
新渡戸稲造博士の主な著作
新渡戸稲造博士と関わった主な人々
参考資料
写真協力・写真もくじ
記念館紹介