菅野 仁/著 -- 筑摩書房 -- 2010.3 -- 370

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所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
しょこ /370/カ/ 120710736 児童一般 可能 iLisvirtual

資料詳細

タイトル 教育幻想
タイトルカナ キョウイク ゲンソウ
副書名 クールティーチャー宣言
叢書名 ちくまプリマー新書
著者 菅野 仁 /著  
著者カナ カンノ ヒトシ
出版者 筑摩書房
出版年 2010.3
ページ数 191p
大きさ 18cm
一般件名 教育
ISBN13桁 978-4-480-68835-4 国立国会図書館 カーリル GoogleBooks WebcatPlus
言語 jpn
分類記号 370
内容紹介 学校の目的は「すばらしい人を作る」ことではなく、「社会に適応できる人」を育成すること。教育や学校をめぐる問題について、社会学的なまなざし、コミュニケーション論的なまなざしからとらえ直す。
著者紹介 1960年宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得。宮城教育大学教授。専攻は社会学。著書に「友だち幻想」「ジンメル・つながりの哲学」など。

目次

はじめに
序章-今こそリアルでクールな「上下関係」を
  「上下関係」は古い考えか?
第一章 人間関係を「分けて考える」キーワード
  「ルール関係」と「フィーリング共有関係」
  「事柄志向」と「人柄志向」
  何ごとも分けて考える
  社会学の「人格性」と「事実性」
  学校における「共通基盤」と「先生のプロデュース領域」
  学校で一番大切なのは「欲望の統御の作法」を身につけること
  「管理」も「自由」も極端になってはいけない-「間をいく教育論」
第二章 そもそも学校とはどんな制度か
  学校はどんな目的で作られたのか?
  戦後は「公民」としての教育
  学校は「すばらしい人間を育てる場」ではない
  学校教育の否定は簡単。でもそこからは何も生まれない
  「子育ては仕事」は、近代になってからの概念
  「座学」の大切さ
  学校は「ルーティンの場」である
  恒常性感覚の育成の場としての学校
第三章 クールティーチャー宣言
  先生は重労働
  どうしても小集団に分裂するクラスを統率する難しさ
  「みんな仲良く」は実現不可能
  「体験重視の学習」は、先生のプロデュース能力に依存する
  熱心な先生ほど、「人柄志向」が強い?
  クールティーチャーのすすめ
  リアルでクールで、でもハートは熱い
第四章 「心の教育」よりも、まず「ルール」が必要
  「心の教育」ではなく、「行いの教育」を!
  求めるのは徳目ではなく、「ルール感覚」
  なぜ人を殺してはいけないのか
  イジメは「こころの教育=人柄志向」では解決できない
  「ルール感覚」と「規範意識」の違い
  自分はいま「事柄志向」か「人柄志向」か、絶えざる自己点検を
第五章 「規律か自由か」の二者択一ではなく、「間をとる」努力を!
  「主体性の尊重」と「規制や制限」とのバランスの難しさ
  観念的な空疎な言葉は、子どもには説得力がない
  規律と自由の「間をとる」
  教育と力の行使
  大事なのは「モデルの提示」
  自由だけが常態化するとモラルは下がる
  子どもの時期の延長と早熟化傾向
  みんな百点?!
  中一ギャップ
第六章 「友だち先生」の実態
  「個性」より「ルール」を
  女子生徒の最低限の安全すら保障できなかった学校の例
  「教室の空気にあわせてしまう」-イジメに加担した先生
  クラス全体の流れから外れると、先生だって攻撃の対象になる
  「生徒を傷つけたくない」と、起きたことをなかったことにする先生
  「家庭の事情が複雑だから」と叱らない先生
  「事柄志向ゼロ」のサンプルがモンスターペアレント
  先生は生徒の記憶に残らなくていい
  問題解決よりも思い出作りに走る「友だち先生」
第七章 しつけは学校の責任か?
  しつけは学校の責任?
  子育ては、子どもを通した「親の生き直し」?
  人間の発達の構造をとらえるキーワード-「美・善・真」
  なぜ「勉強しなさい」と言っても言うことをきかないのか
  逸脱への寛容さ
  「お前の人生なんだから、自分で決めろ」は無責任
  子どもが子どもを育てる時代
  「らしさ」と「として」
  すべてを自己責任で負えないうちは「修行の身」
おわりに-ピュアネスのためのリアリズムを